平成22年3月10日水曜日

誰かのために

『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』

そんな一節が、「葉隠(はがくれ)」という記録の中に出てくるそうです。
「葉隠」は江戸時代中期に出された記録。武士道とは何かということから、上司からの酒の誘いの断り方やあくびの誤魔化し方などの人生指南的なことまで記録されているようです。口述者は肥前国藩士の山本常朝、筆録者はその後輩である田代陣基。wikiでは解説書として、三島由紀夫「葉隠入門」や隆慶一郎「死ぬここと見つけたり」が挙げられていました。

青山さんは、『武士道と云うは』と『死ぬ事と見つけたり』の間に、言葉がひとつ省かれていると述べたうえで、『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』という言葉は日本語として素晴らしいとおっしゃっていました。

それは、その言葉だけで山本常朝が悩んできたのが分かる。戦争がなくなって平和になった江戸時代、山本常朝が『武士道とは何だろう』と悩んできた。あくびを噛み殺さなければならないほど何もやることがない生活の中で、悩み続けてきたその答えが書いてないけど書いてあるのだ。書いてないけど書いてある…書かずに含ませているその奥ゆかしさ。それは俳句や和歌などの伝統を踏まえた日本語である。と。



省かれた言葉とは、『人のために』『誰かのために』であると青山さんはおっしゃっていました。武士道とは、時代が変わり戦争があってもなくても刀が役に立っても立たなくても同じ値打ちがある。それは死ぬこと、『誰かのために』。と。

自分の命そのものに意味があるのではない、意味があるのは、次へと命を渡していくことなのだ。という青山さんの言葉が、私にはストンと腑に落ちた気がします。

たった10分弱の動画(幸福論編)ですが、青山さんが語る言葉は最後の最後まで魂がこめられているように感じました。

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